ちゃこちゃこの「わたくしごとですが」日記

ちゃこちゃこです。2児(3歳・1歳)の育児奮闘中です。育児のことを中心にゆるーい日記を更新していきます。

【自分語】ちょっと特殊な子供時代を振り返ってみて

少し特殊な生活環境だった子供時代について

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※写真と記事の中身はまったく関係ありません…

 

普段は育児のことや、いいなと思った商品などを書いていますが、ここにきて少しずつ自分自身について書いていきたいなと思いました。というのも、私は幼い頃はかなりの貧乏だったこと、父親がしていた特殊な仕事のこと、母子家庭になり、母子寮に住んでいたこと…思い返せばよくもまぁぐれずに大きくなったな、と感心してしまうほど、落ち着かない子供時代を過ごしてきました。

 

今、一人親家庭で貧困に苦しんでいる人、家族の不仲などなにかしら問題を抱えている家族がいると思うのですが、そんな人たちにいつか私のブログを読んで、こんな人もいるんだと思ってもらいたいのです。家族や人間関係、お金に悩んで苦しんでいる人に、何かしらのきっかけ、気づきにつながるように書いていきたいと思っています。

父と母と私

私が小学校四年生までは父親と母親の三人で暮らしていました。小さい頃から父と母の仲はあまりいいものではないと感じており、少々息苦しさを感じていました。といいましても、その頃はどんな感情かもわかりませんでしたが、大人になってわかりました。

 

父はほとんど家にはおらず、遊んでもらった記憶など皆無に等しいです。そんな父親がしていた仕事は夜の仕事でした。詳しくは話せなくてすみません。

 

ほとんど家にいなかったので父と母はすれ違い、私が小学四年生の時に別れたようです。いわゆる母子家庭というものになりました。

生活の困窮…、施設にお世話になる

父と別れたあとに私たちは母子フィルター、いわゆる〈一時避難場所〉に一ヶ月ほどお世話になりました。 一時避難場所に入れた…と聞いて察しが言い方いらっしゃるかと思いますが、詳しい内容は伏せさせてください。

 

そこには私たちと同じような母子が5世帯程いたかと思われます。ちょっと曖昧ですみません。私はそこではじめての団体生活を送ることになります。

 

部屋はひと部屋で、ご飯を食べるところ、トイレ、お風呂は共有でした。ご飯の時間は決まっていて、その時間にリビングまでいき、みんなでご飯を食べていました。

 

知らない人と食卓を囲むのは最初は抵抗がありましたが、徐々になれていきました。

国籍も年齢もばらばら

当時その施設にいた家族は日本国籍ではない人たちもいました。身ごもっている人もいました。年齢も十代~四十代くらいだったでしょうか。幅広い人たちがいました。

 

私と近い年齢の子はいなかったため、寂しい思いをしていました。 いきなりの慣れない生活に身も心も疲弊したのか、風邪をひき、治ったと思ったらおたふくになったりと一ヶ月のほとんどを学校にはいかず、施設内で過ごしていました。

居場所ってどこだろう

ずっと具合が悪い状態が続きましたが、母は働きにでなくてはならなかったので、日中は部屋にはいませんでしたので、施設のスタッフさんがたまに見に来てくれたりしました。

 

ですが、おたふくになったときは部屋に隔離状態でしたので、誰かと遊んだり、話したりすることができず、つまらないと思っていました。 おたふくも治り、いざ小学校にいっても、転校して早々に長期に休み、久しぶりに顔を出した私に親しく声をかけてくれる子もおらず…。

 

なんだか書いててちょっと泣けてきました…。あの頃の自分、強いなって(苦笑)

施設から出ることに…

そんなこんなであっという間に一ヶ月が過ぎ、母から次に行くところが見つかったから引越しだよと言われました。私はそのとき安堵したのを覚えています。

 

居場所らしい居場所がなかったので、やっとここから脱出できる!と思ったんです。 転校する日、対して仲良くもなかったクラスメイトから「寂しくなるね」「もっと遊びたかったね」という言葉をかけてもらった覚えがあります。

 

おお怖い怖い…。本心じゃなかろうに…。私は心の中で「まぁ、もう関わらないし、会ってもわからないだろうから気にするのやめよ」なんて考えながらそのクラスをあとにしました。

 

ここまでざっと書いていきましたが、いかがでしたか?書いてる本人は、心がぐさぐさされっぱなしです(苦笑)楽しい思い出ではないので、こうしてブログにするのもどうかなぁと考えたのですが、辛かった経験だからこそ、今苦しんでいる人に「自分だけじゃないからね」って伝えられると思ったので書いてみました。もちろん、楽しかったこと、嬉しかったこともありましたよ。

 

ただ、今の自分の芯となる部分を作ってくれたのがこれからかいていきたいと思っているちょっと苦い経験なので、この話を中心に書いていきます。

 

真面目な話ばかりじゃ息がつまると思うので、育児や楽しかった話をはさみつつ、自分語を続けていきますので読んでいただけると幸いです!